くりはら田園鉄道


「くりはら田園鉄道」に関しては、「くりでん」を愛する方々、地元が大好きな方、鉄道ファンの方が、秀逸なサイトを作られてたくさんの素晴しい情報を 発信しておられます。「今更、素人がなんだ」とお叱りを受けそうですが、いつものマイスタイルで書き進めます。



出会い
「くりはら田園鉄道」との出会いは道の駅スタンプラリー中に撮った、この1枚の写真でした。




秋田新幹線、由里高原鉄道、五能線、JR常磐線、JR大船渡線、JR羽越本線、フラワー長井線など、 踏切で目の前を通過する車両や、 並走する姿などをスタラリの合間に撮っていましたが、その中の1枚が、 先程のくりはら田園鉄道のKD95が三迫川の鉄橋を渡る写真でした。



その後、撮影スポットとして有名なS字カーブを走る姿を撮影に行きました。
しかし、2007年3月31日に廃線となるというニュースが流れ、週末は名残を惜しむファンで盛況という話も耳にしましたが、まったく何一つせずその日を迎えてしまいました。

一昨年(2007年)4月28日、前述のスタンプラリーの途中に偶然 栗駒駅付近を通りかかり、廃止になった事を思い出し、廃なもの探索の気分で くりはら田園鉄道の栗駒駅とその周辺(鉄橋、トンネル)(こちらを参照)を少し歩いてみました。 その時は「くりでん」が目的ではなく恒例の東北道の駅スタンプラリーの途中に偶然通りかかり、そういえば3月で廃止になったんだ、程度のものでした。

それでも、帰宅後、ネットで調べてみると若柳駅に車両基地が併設されていて、たくさんの車両が今でも保存されている という情報を発見、 すぐにでも飛んで行って見たい気持ちになりました。 ところが、なかなかチャンスにめぐまれないまま、のど元過ぎれば・・・の言葉どおり、日に日に別なことに興味が移っていき、「くりでん」への思いは薄れていきました。




栗原軌道
それから2年弱の歳月が経ちましたが、2007年も2008年も、春から秋にかけてはスタンプラリーに夢中になって過ごしました。その途中途中にあった各地の 廃なものや保存車両を見て歩きましたが「くりでん」は忘れたままでした。

2008年のシーズンが終わり、出かける当てもなく、休日に身体をもてあまして、ネット三昧をしていたちょうどそんなとき、廃線系のサイトで「くりでん」を見つけて、 「くりでんも廃線なんだぁ〜」と改めて実感、そういえばここに行きたかったんだ・・・という訳で今回の訪問が実現しました。


「くりでん」こと「くりはら田園鉄道」は、「細倉鉱山」から産出される鉛や亜鉛の搬出を目的として、1918年(大正7年)に「栗原軌道」として設立され、 1921年(大正10年)には石越〜沢辺間が開通しました。 その後、1922年(大正11年)に、設立当初の特許取得区間である、沢辺〜岩ヶ崎(現・栗駒)間を開業させ、営業キロは16.6kmになり、 1940年(昭和15年)には、岩ヶ崎〜細倉鉱山間の免許を取得、1942年(昭和17年)岩ヶ崎〜細倉鉱山間が開通しました。同時に鉄道線として免許を取得した事から、 地方鉄道に衣替えし、社名も「栗原鉄道」となりました。

1950年(昭和25)、には、全線を電化し、5年後の1955年(昭和30)には、国鉄(現・JR)との貨物輸送を直通運転化する為に、軌間を1067mmに改軌しました。 最盛期には、石越から東北本線に乗り入れ、仙台まで直通する旅客列車もあったようです。また、細倉鉱山から先、秋田県の湯沢まで延長する構想も存在したようです。

1987年(昭和62年)細倉鉱山の閉山に伴い貨物営業が廃止され、大きな収入源を失った「栗原電鉄」は経営状態が悪化、 1993年(平成5年)に鉱山の経営母体だった三菱マテリアルの手を離れて、沿線5町(石越・若柳・金成・栗駒・鶯沢町)を主体とする第3セクターに経営移管されました。

1995年(平成7年)在籍車両の経年劣化が著しく耐用年数を超えつつあった事から、電気鉄道から内燃動力に変更し、社名を「くりはら田園鉄道株式会社」 路線名を「くりはら田園鉄道線」に改称し再スタートをしましたが、経営状態の改善は出来ず、2007年(平成18年)年3月31日を以て、 「くりはら田園鉄道線」を廃止し、会社は解散とりました。




細倉鉱山
出かけるにあたり、「くりでん」の起源となった細倉鉱山について調べてみました。

細倉鉱山は、宮城県北西部、栗駒山南東麓に位置する栗原市鶯沢にある鉛・亜鉛鉱山です。今から約1200年前、平安時代の806年代〜876年代(大同〜貞観年間)に 発見されたと伝えられており、江戸時代には仙台藩が開発、経営し、最初は銀を採掘していましたが、その後 鉛の生産が増加したようです。 1688年〜1704年の元禄期には銀・銅製錬の材料としての鉛の需要が増え、鉱山は隆盛期を迎えたました。

明治に入り、政府の所有となった鉱山は、近代化が進めら、1895年(明治28年)には鉛の年間生産額は全国一となったそうです。

1898年(明治31年)に高田商會の所有となり「高田鉱山」、1928年(昭和3年)共立鉱業(株)に経営が移り「細倉鉱山」と改称され、 1934年(昭和9年)に三菱鉱業(株)の経営になりました。資料の残っている1923年(大正12年)から、亜鉛85万t・鉛31万tを産出したそうですが、 1987年(昭和62年)鉱量の枯渇と金属価格低迷により閉山となりました。




若柳駅
東北自動車道で60kmあまり、岩手県境に近い若柳金成ICで高速を降り、一般道で若柳駅に向かいます。数キロ走ると「くりでん」の踏切を渡ります。 遮断機、警報器などはすでに撤去されていましたが、通行する車は現役路線の踏切を渡る時のように一旦停止しています。 廃止線の踏切にありがちな、線路に入れないように両側をバリケードなどで塞ぐようなことはなく、渡るときに確認した限り 錆ついてはいますがレールは、敷かれたままになっていました。

踏切のすぐ横に、待合所や駅名票が撤去されたホームだけがあり、地図で調べてみると「谷地畑駅」でした。 そういえば、途中に「大岡小学校前駅」という看板があったな、帰りに寄ってみよう。


若柳駅前は小さな広場になっていますが、何かの工事中でした。駅舎は施錠されていますので入ることはできません。 また駅横にある、くりはら田園鉄道本社の2階にあるという資料を展示しているコーナーも、土日、祝祭日は閉まっているようです。

ガラス越しに中をのぞいてみると「ありがとうくりでん」という、横断幕が残されていました。



なるほど、たくさんの車両があります。現役時代に何度か見たことのあるKD95は、1両は木造の車庫に、2両編成がその横に保存されています。 もともと全線電化された路線だったため、電車(パンタグラフのついている車両)も目につきます。

かなり広い構内を1車両、1車両写真を撮りながら丹念に見ていきます。 といっても所謂鉄道マニアではないので、全体の色や形が分かる程度の写真しか撮れません。