2011年 しめくくりの大遠征 そして、2012年の幕開け
奈良県コンプリートへの道
導入〜初日
2011年は、日本人にとって、宮城県民にとって、忘れてはならない年となりました。(こちらを参照)
(こちらもどうぞ)
「目指せ道の駅 全駅制覇」をコンセプトに1月3日〜4日に伊豆半島の道の駅「下賀茂温泉 湯の花」、
成人式の3連休には群馬県の道の駅「よしおか温泉」、
2月には東北地方で唯一未訪問となっていた秋田県の「大館能代空港」へと精力的に未訪問駅への遠征を続け、
619駅/946駅となっていました。3月の連休に長野県の新駅訪問を計画したところまでは、例年と変わりがありませんでしたが、震災でキャンセルとなりその後はペースがガタ落ちでした。
(こちらを参照)
そんな2011年の締めくくり、そして2012年の幕開けとなる遠征は、数十年ぶりに旅先で年越しをするプランで、奈良・京都に行くことにしました。道の駅をメインにして、多くの道の駅が休みになってしまう大晦日は、こちらも是非行ってみたかった「奈良国立博物館」に、
元日は一の宮で初詣でと決めました。道の駅は夏の遠征で時間的に無理と判断して行かなかった、奈良県南部の4駅と2011年3月の第35回で新たに登録された福井県の「若狭おばま」
へ行って、奈良県、福井県をコンプリートし、山城の国一の宮「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」「賀茂御祖神社(下鴨神社)」で初詣、雑誌で読んで会ってみたいと思っていた「新薬師寺の『十二神将 伐折羅大将」』とターゲットが決まりました。
このように頭の中ではプランが膨らんでいきましたが、現実は厳しく震災からの復興の仕事に追われ、帰宅は連日深夜となり、遠征のプランニングが進まず、イライラが募るばかりです。ようやく「宿」を押さえたのは出発の1週間前、奈良市内や京都市内での駐車場チェックは80%程、
大雪となって山間部の道の駅に行けない事態のためのオプションプランまでは手が回りませんでした。出来上がった遠征プランは、今一つ物足りなさを感じさせるユルユルの計画です。時間が余ってしまうかもしれないな。
100%の計画はできませんでしたが、朝6:50、関西方面まで行くにしては、やや遅めの出発で遥か900km先の本日の宿泊地に向かって車を発進しました。これから東北道、北関東自動車道、関越道、上信越自動車道、長野道、中央道、東名、名神と高速道路を乗り継ぎ、
宮城県、福島県、栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、愛知県、岐阜県、滋賀県、奈良県へと移動します。
好きなことをしているんだから、そんな気持ちと、車の運転が根っから好きで苦にならないので、過去の遠征は何千キロの道のりでも一人で運転していました。ところが、この日はどうしても眠気に勝てず、中央道の駒ケ岳SAから内津峠PAまでの
約100kmの運転を変わってもらいました。ちゃんと睡眠をとって疲れはとっていたつもりでしたが、震災以来の疲労が溜まっていたんでしょうね。911.7kmを走り切って奈良市内の宿にチェックインしたのは18:06、
2時間ほど早めに出発できれば、大阪府か和歌山県内の未訪問駅に行くこともできたかもしれません、やっぱり計画が甘すぎたのかな?
しかし、相方さんは、普段は高速道路を100kmも運転することなどありませんから、かなり疲れた様子です。ゆっくり風呂にはいって早めの就寝できたのは不幸中の幸いというところです。
2日目
心配された年末寒波もなく、オプションプランが用意できなかったことが杞憂に終わりホッとできる爽快な朝を迎えました。早寝が功を奏したのか、充実した1日を予感させる目覚めの良さです。
8:35、奈良市内の宿を後に一路南下します。目指す道の駅は「吉野路大塔」、約70kmの道のりです。
1993年4月の第1回登録で道の駅となった奈良−1の道の駅「吉野路大塔」着は10:05でした。この駅は、「☆遊びのいちばん星、見つけた!」というコンセプトで、プラネタリュウムや天文台、温泉、ロッジなどがあります。
澄み切った夜空にミルキィウェイを見ることができ、そのまま宿泊ができる道の駅です。施設もUFOをイメージさせる形で、休憩コーナーのベンチの屋根が星形になっているなど、夢いっぱいです。
売店は木製品や山の幸がメインで、宿泊者用なのか、近隣の方が購入するのか日用品も販売されています。残念ながらレストランは年末のためか営業をしていませんでした。
ソフトはレストランで販売されているようで、チェックできませんでした。
道を挟んで道の駅の向かい側には「五條市大塔郷土館」がありますが、こちらには台風で被害を受けた方々の仮設住宅が立ち並んでいました。東北では各地で見かける仮設住宅、まさか遠征先で見ることになるとは、思ってもいませんでした。
このさき、台風の猛威の傷跡を目撃することになりますが、被災地の一日でも早い復興を祈らずにはいられませんでした。
「吉野路大塔」から、さらに国道168号線を50kmあまり南下、2駅目「十津川郷」着は11:23、初日からの通算走行距離が1000kmを超えました。
「十津川」という地名から、西村京太郎のトラベルミステリーの十津川警部を連想しますが、西村がたまたま見ていた日本地図でこの地名を見かけたことから命名されたようです。頂いたパンフレットによれば「遥かなる癒しの郷」として、日本で初めて源泉かけ流しを
宣言した十津川温泉郷、2004年7月に世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野古道小辺路と大峯奥駈道が通り、「玉置神社」があること、日本一吊り橋が多い村などと紹介されています。面積でも日本一の広さ(北方4島を除く)があるようです。
道の駅は、先人の生活の知恵や村の歴史を物語る伝統民具を展示した「むかし館」をはじめ、村内で生産された特産品を販売するコーナー、足湯、観光案内と喫茶コーナーなどを設けた複合施設となっています。特産品コーナーでは、山の幸、十津川ならではの「ゆべし」、
無農薬十津川産の番茶、手づくり豆腐やこんにゃくなどの他、木工品、葛(かずら)の編み篭、チェーンソーアート、そして、十津川村が1889年(明治22年)に大水害で壊滅状態になった時、北海道に移住した村民たちでつくった北海道の新十津川町の産物も販売されています。
日本一吊り橋の多い村、十津川村内には60基以上の吊り橋があるようですが、そのなかで「日本一の生活用吊り橋」として村の観光名所にもなっている「谷瀬の吊り橋」に寄ってみました。1954年(昭和29年)に作られた橋で、長さが297m、高さは54mあります。
生憎く強風にあおられ左右に大きく揺れている様子を見て怖じ気づいてしまい、渡ることはできませんでした。
そのまま国道168号線を南下、国道425号線、国道169号線経由で道の駅「吉野路上北山」に向かう計画でしたが、どうやら冬季閉鎖のようで、いったん北上して吉野町から改めて国道169号線を南下して行きます。
途中、こちらも台風の影響で国道が通行止め、大きく迂回路を回って道の駅を通り過ぎ、逆方向から戻るような感じで、道の駅「杉の湯川上」着が14:28、初日からの通算走行距離が1100kmを超えました。
川上村では、古事記に登場する兄弟、海幸彦・山幸彦が、困難を克服して新しい世界を創りあげたと伝えられている神話に因み、村に夢と活力を与えてくれることを願って、山幸彦を村のイメージキャラクターにしているようです。道の駅は「山幸彦のおみやげ屋」
というネーミングで、柾波木芸品、柿の葉寿司、山菜、火打餅、佃煮、そうめん、手づくりこんにゃくなどが販売されています。道の駅にも麺コーナーがありますが、隣接する杉の湯ホテルにもレストランがあり、加えて入浴もできるようです。
前述のように、災害のため国道が通行できない状況で、奈良方面からは大きく迂回して行かなければならない影響か、道の駅はちょっと寂しい感じでした。東北地方でも震災の影響を受けた道の駅がたくさんありますが、共に頑張って欲しいところです。
さらに南下を続け、最終目的地 道の駅「吉野路上北山」に向かいます。だんだんと雪の量が多くなりますが、走行に支障がでるほどではありません。途中ループ橋もあり変化にとんだ車窓が目を楽しませ、初めて訪れた奈良県南部の魅力を引き出してくれます。
道の駅のある「上北山村」は奈良県吉野郡の東南部に位置する、大峰山脈と大台山系に囲まれた、97%が山地という緑ふかい豊かな自然の残る純山村です。道の駅は小型の物産館と川を挟んだ温泉棟がメイン施設のようです。物産館では、
こんにゃく、とち餅、おかき、三色葛湯、桜ようかん、地味噌、各種木工品、梅干し、村おこし、等の山菜、加工品が販売され、温泉施設「上北山温泉薬師湯」には、村営の宿泊施設もあるようです。
この日はここまで240kmあまりしか走っていないのに、かなり疲れたのか細部までチェックはできず、スタンプ押印、登録証の撮影程度で終了、結局4駅に行きましたが、ソフトは食べずじまいでした。
こうして2日目は終了、再び奈良市内の宿に戻った時点で初日からの通算走行距離は1241.0kmとなっていました。心配した通り、前回の1泊2日の強硬遠征と比べものにならないような
ユルユルの計画でしたから、かなり時間が余ってしまいました。今夜も早寝です。
初日と同様にこの日も、あと少し朝の出発を早くして、もうひと頑張りすれば、和歌山県の未訪問駅まで足を延ばせたかもしれません。あと半日、計画に費やす時間があったら、こんなことにはならなかった筈なのに・・・
この日の4駅訪問で641駅/972駅となり、奈良県は全駅制覇となりました。