仕事の都合でなかなか連休がなく長距離に出かけられない2004年5月。道の駅スタンプラリーのついでに、国道113号線宇津峠の旧トンネルを見に行きました。
馬車どころか人の通行にも難儀する旧越後街道は、初代山形県令三島通庸が明治14年から5年ほどをかけ、
荷馬車も通行可能な小国新道とよばれた新道を開削させました。
その道は深山幽谷の地に、渓谷の岸壁を削ってつくられた道であり現代の目から見れば充分危険な山道でした。
片洞門 とよばれ、がけを削り取っただけの道は片側は谷、頭上にも残された岩があるという状態でした。
しかし明治の時代から改良を重ね、昭和30年代まではこの道をバスやトラックが走っていました。
綱取トンネル飯豊側坑口の左方に旧道の入り口がのこっていて、遊歩道として 片洞門 と呼ばれたあたりまで徒歩で行くことが出来ます。
今回は車でいけるであろう昭和42年開通の旧トンネルを見るために、いったん現宇津トンネルを通り抜け小国側から旧道へ入って行きました。
旧道に入るとすぐに「国道113号落合改良・改築案内図」が目に付きます。さらに進むと鋼材で道がふさがれていて車では進めなくなります。
わき道がありましたが、先がどうなっているかわからないので徒歩で進むことにしました。やがて路面が一面草に覆われてしまいます。
しかし、その先に再び路面が見えているところがあり、歩いていくと国道時代に使われていた電光掲示板、この先トンネル注意の看板、
トンネル幅員が狭いことの注意の看板などが残されています。トンネルの手前に宇津橋がありますがこちらは、
向かって右側の欄干がなくなっていました。また、電光板には藤が絡みつき季節柄満開の花をつけていました。
トンネル付近には何台かの車があり、先ほどのわき道を通ればトンネルの手前に出られたことがわかりました。もちろんこの旧トンネルを
わざわざ見にくるような、物好きの車ではなく付近の山に入って山菜をとる人たちの車です。トンネルはコンクリートと鉄柵でふさがれ中をのぞくと
反対側が見えます。昭和42年に完成した旧宇津トンネルが車両の大型化に対応できず、平成3年に現トンネルが作られましたが、
それ以前の片洞門と比べればこのトンネルも画期的だったのかもしれません。もう少し、計画の段階で先を見通し、一回り大きなトンネルが設計
されていたら、今でも現役として立派に使われていたことでしょう。
リンク1:こちらにも宇津トンネルの記述があります。
リンク2:こちらにも宇津トンネルの記述があります。
後日、ある方からのご指摘を受け、いろいろなサイトを調べえた結果、旧宇津トンネルが短命に終わってしまった原因の一つに スメクタイト という
特殊な地質が大きく影響していることがわかりました。スメクタイトとは、膨潤性が著しい粘土です。日本名で膨潤土と呼ばれたこともあります。
(膨潤というのは、微粒の固体物質が液体を取り込んで体積を増大する現象です。)このようなスメクタイトを多量に含んだ地質のためトンネルの維持が
困難だったことが短命の原因の一つでした。
初代 山形県令 三島道庸 が栗子峠はトンネルを通し宇津峠は急な勾配にもかかわらず、トンネルを作らなかったのは、スメクタイトの存在をすでに知っていた?
というウソのような話もあるサイトにありました。
時間に余裕があったので越後十三峠街道を走ってみることにしました。
極楽峠も越後十三峠街道の峠の一つだと勘違いしていたのと、ネーミングに惹かれ
小国から新原、大滝、小倉、新股、叶水、市野々、白子沢を抜けて沼沢で国道へ戻るルートが頭にありました。
手持ちの地図では県道になっているので車で行けそうです。
しかしこのあたりはダム建設で道が大きく変わっていてNAVIが役に立たないことは九才峠からの帰り道で知っていました。慎重に車をすすめましたが、
いつの間にか新しい道に入ってしまいUターン。走りを堪能しながら狭い山道(県道)を走りここが極楽峠かな?という地点まで行きました。
道が下り始めるので峠には間違いないと思いましたが、峠を示すものは何もありませんでした。市野々まで下ってきて右折ルートを考えていましたが
峠もなさそうなので直進して国道に戻り岐路につきました。ちなみに越後十三峠街道は米沢側から
諏訪峠、宇津峠、大久保峠、才の頭峠、桜峠、黒沢峠、貝之淵、高鼻峠、朴ノ木峠、萱野峠、大里峠、新潟県にはいって榎峠、鷹ノ巣の13で
極楽峠はべつだということは後で知りました。